2000年代に入るまで沖縄県に鉄道が存在しなかったことを知っていますか?
「今でも無いのでは?」と思った人も多いと思いますが、2003年に開業した沖縄都市モノレール線、通称:ゆいれーるは、モノレールですが、法律上は鉄道として扱われています。
なので、現在の沖縄県には鉄道が存在するのですが、ゆいれーるは、那覇市と浦添市の一部区間しか走っておらず、総距離も17kmしかありません。
ということで、皆さんの想像するレールの上を走る鉄道は、2021年になっても沖縄県には存在しません。
鉄道がいらないほど沖縄県の面積が小さいのかというと、そんなこともなく、沖縄本島を上から下まで移動しようと思うと100km以上あり、主要部である那覇市から名護市までの移動でも60km以上あります。
那覇市から名護市の区間に鉄道が通れば、観光客はもちろん、地元の人の足にもなるので、沖縄県の交通は飛躍的に発展します。
それなのにどうして沖縄県には、モノレールしか無いのでしょうか。
今回は、沖縄県にモノレール以外の鉄道が存在しない理由を解説していきます。
アメリカの統治下にあったから
沖縄県に鉄道が存在しなかった理由は、終戦後、アメリカの統治下にあったからです。
太平洋戦争で敗れてから27年間、沖縄県はアメリカの統治下でした。
その期間は、実質アメリカと同じように扱われ、ルールや文化もアメリカに合わせた形となりました。
アメリカはご存知の通り、車中心の社会が出来上がっており、沖縄県もアメリカと同じように車社会として機能するように道路網の整備を行いました。
一方その頃、沖縄県以外の日本は、都市に人口が集中しており、大量輸送のできる鉄道の整備を積極的に行なっていました。
その結果、日本全国に鉄道網が整備されましたが、アメリカの統治下にあった沖縄県には手を出すことができなかったので、沖縄県のみ取り残されたということです。
終戦前は鉄道が存在した
実は沖縄県にも鉄道が存在した時期がありました。
最初にできたのは明治時代で、サトウキビの運搬用として誕生しました。
その後、大正時代に入ると路面電車が誕生したり、軽便鉄道と言われる、通常の鉄道よりも安価に建設が可能な鉄道も誕生しました。
しかし、昭和に入りバスとの競争に敗れ次第に廃止されていきました。
その頃は今ほど鉄道技術が発達していなかったので、自由に動き回れるバスに敵わなかったのだと思います。
その後も復活することはなく、アメリカの統治下になったため、2003年にゆいれーるが誕生するまで沖縄県に鉄道はありませんでした。
なぜ、ゆいれーるが誕生したのか?
長きに渡り、鉄道が存在しなかった沖縄県ですがどうしてモノレールを開業する事になったのでしょうか?
理由は、那覇市内の渋滞緩和のためです。
車社会の沖縄県では、特に都市部の那覇において渋滞が悪化していました。
それを少しでも改善させようと計画されたのがゆいれーるです。
当初は、車社会の沖縄県で、本当に使われるのかという懸念もあったようですが、開業してみると、多くの観光客はもちろん、地元の人も使ってくれました。
どうしてなのかというと、渋滞によるストレスがない事、時間に正確な事がメリットとして感じ取る人が多かったからです。
ただ、鉄道に乗り慣れていない人が大半だったので、ホームページなどで乗り方を案内したり、小学校の校外学習でモノレールに乗る授業を行なったりと、苦労もあったようです。
モノレール以外に鉄道計画はないのか?
モノレールが大成功したということは、他にも鉄道計画があっても良さそうですが、どうなのでしょうか?
実は2006年に那覇市から名護市を結ぶ鉄道計画が明らかになっています。
しかし、2020年に着工を目指すと言われていながらも、2021年現在で大きな動きはありません。
ただ、調査が進んでいないのかというと、そんなこともなく内閣府からは定期的に報告書が公開されています。
現時点では無人運転のリニアや、トラムを用いた運行が有力とされていますが、具体的なことは、まだまだ未定です。
実際に開業するまでには、まだまだ時間がかかりそうですが遠くない将来、モノレール以外の鉄道が沖縄県にも誕生するかもしれません。