祭りでの死亡事故を本気で考えてみた

秋といえば、お祭り。

全国各地で、秋祭りが始まっているようで大きなお祭りではニュースでも取り上げられています。

しかし、ニュースの内容を聞くと死亡事故を含めた事故の報道で、その度に本当に無念で家族の立場を考えると残念でたまりません。

時には、本当に必要なのだろうかと疑ってしまうこともあり、今回は改めて、祭りでの事故を私の解釈で考えてみました。

 

 

今の時代背景からは外れている

祭りという伝統文化を守っていくことは大切です。

それが地域社会の発展につながるのであれば、尚更です。

しかし、命をかけてまで守るというと今の時代背景からは少し外れているような気がします。

その昔、日本を含めた宗教の世界では生贄という行事がありました。

神様に命を授け、その代わりに村を守ってもらうというスタンスです。

しかし、その多くは若い方を生贄にすることが多く、未来ある命が何度も奪われていきました。

もし、この生贄が今の時代に行われていたとするなら、それを非難する人は多数おり、国や国連が動きだすはずです。

ただ、今の秋祭りもこの生贄と同じような事が行われていると私は考えています。

秋祭りのスタンスとして、盛り上がれば盛り上がるほど神様は喜ぶという考えです。

それに伴い、必ず危険が生じ、命をかけて神様の喜ぶことをしているということです。

ここまで、説明すると生贄と祭りが関連することがわかっていただけたはずです。

 

祭りをなくすのも違う

ここまでを読んで、祭りをなくす事がいいと思った人もいるでしょうが、それも違います。

先ほども言いました通り、祭り規模にもよりますが、地域社会に生み出す、経済効果が莫大です。

また、伝統文化を守っていくということでも、祭りという行事をなくすことは望ましくありません。

 

運営側が安全を最優先する

これに対する私の出したことは、運営側が安全を最優先することです。

おそらく、参加者の意識を変えて、安全を最優先しましょうと言っても聞く耳を持つことは少ないでしょう。

それであれば、神社や自治体側が安全を最優先にするしかありません。

例えば、事故の多い岸和田のだんじり祭りでは、速度を調整するや参加人数の制限など方法はいくらでもあります。

 

死んでもいいと思っている人が多い

ただ、運営側がいくら安全を最優先しても、参加者の多くは死んでもいいと思っている人が多いので死亡事故が完全になくなることはありません。

それが、生きがいであれば、よそ者が意見すること自体おかしいのかもしれません。

私は地元の鉄道会社が特設サイトを毎年作るほど、秋祭りが盛んな地域で生まれ育ちました。

観客が5万人を超える祭りが毎週のように市内のどこかで開催されており、会社も学校も休みになるほど、祭りに熱い地域です。

そのせいか、祭りに対して敏感なのですが、一度怪我をした人を見てから私の周りでもいつ死人が出てもおかしくないなと感じました。

なので、個人的には、祭りは時代背景に合わせて形を柔軟に変化させていく必要があると考えています。

たとえば、祭りをパフォーマンスとしてするなど、怪我を最小限に抑える方法はいくらでもあります。

そこの記事は、あくまでも持論ですので、こういった意見もあるのだという事でご覧いただければと思います。

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