人は皆、生まれて死んでいくものである。
その過程は人それぞれだが、その中で幸せだったと感じる人もいれば、不幸だったと感じる人もいるだろう。
もっと言えば、まだまだ生きていたかった人もいれば、もっと早くに死にたかったと思う人もいる。
そんな、人生の中で誰もが一度は考えさせられる疑問が「生きる意味」だ。
ある人は「何かを成し遂げるために生きている」と言ったり、またある人は「その意味を探すために生きている」とも言う。
結局のところ、宗教や哲学によって無理やり生きる意味を作っているだけであり、それが正しいのかも確認のしようがない。
生きる意味は与えられるものなか?
まず、大前提として生きる意味は「存在する」と考えてこの記事を書いていきます。
そこで、問題となるが、生きる意味は与えられるものなのか、それとも自ら見つけ出すものなのかと言う事です。
多くの方は、自ら探すものと考えており、Aという人は家族をまもるために生き、Bという人は病気を治すために生き、Cという人は世界を便利にするために生きています。
この、自ら探す「生きる意味」は、10人いれば10通りの意味があり、中には生きる意味を持っていない人もいる事でしょう。
私の場合は、家族のために生きているというのが本心で家族がいなくなれば、この命などあってもなくても、どっちでもいいと考えています。
そして、次に考えなくてはならないのが、与えられた「生きる意味」です。
誰から与えられるのか、何を与えられたのかは定かではありませんが、必ず全員が成し遂げることを考えると答えが近いのかもしれません。
与えられた「生きる意味とは」?
与えられた生きる意味は、言ってしまえば義務のようなものです。
これを成し遂げる事こそが生きる意味なのですから、成し遂げれないなどあり得ません。
そう考えると、全員が成し遂げる事を考えれば答えが見えてきます。
それが「死」です。
人間は必ず生きた後に死が待っています。
不老不死など童話の中だけの話であり、必ず死の時期が訪れています。
そう、生きるとは「死ぬための準備」なのです。
生まれたときから死への準備が始まっている
人は生まれた瞬間から死へのカウントダウンがスタートします。
何を成し遂げるにしても準備が必要で、死ぬためにも準備が必要です。
その準備こそが、人間生活なのではないでしょうか。
死後の世界に何があるのか、私たちには想像もつきません。
その、想像のつかない出来事に対応するために様々な事を学び、様々な経験をするのではないでしょうか。
これが、私の導き出した生きる意味の正体です。
従って生きる意味は探すものでもなく、何かを成し遂げる事でもありません。
「死を迎えるために生きる」これが「生きる」という事ではないでしょうか。
最後に
今回の記事で何を伝えたかったかというと、「死ぬために生きる」とは、自ら死へ向かう事ではないと言う事です。
先ほども言いましたが、死への準備のために私たちは生きている可能性が高いです。
それにもかかわらず、死の時期を自らの力で早めてしまう方が大勢います。
特に近年ではネット社会による人間関係の複雑化、経済の停滞による貧困化などにより、自殺志願者が増えているそうです。
しかし、私の考えが正しければ、自ら命を絶つと言う事は、死ぬ準備が不十分のまま死ぬことになります。
そうなった場合、次の世界に行ったとしても自分が困るだけではないでしょうか。
宗教っぽい話になってしまいましたが、自ら命を絶つことは絶対に辞めてほしいと言う事が少しでも伝わればと思い書きました。
ぜひ、何か悩み事や心配事があるのであれば、周りに相談してみてください。
その、相談も死への準備の一つだと私は思います。