夜行新幹線はなぜ実現しなかったのか?

東海道新幹線・山陽新幹線ができた当初は、新幹線にも夜行列車を運転する計画があったことをご存じですか?

東京駅から博多駅を一晩に合計24本運行した場合、片道5000人程度の需要を見込んでいたようです。

上下線合わせて24本なんて結構な数ですよね。

本当にこんなに需要が見込めるのかということは置いといて、夜行新幹線はかなり本格的に計画されていました。

具体的な計画としては、上下2本の線路のうち、片方は保守を行い、片方を夜行列車の運転に使うというものでした。

山陽新幹線の相生駅・西明石駅・姫路駅の13番ホームは夜行列車の待避所として設置されたとも言われています。

これだけ、準備を進めていたにもかかわらず、夜行新幹線は実現することなく計画が終了してしまいました。

流石に24本はやりすぎだと思いますが、上下2本ずつぐらいあれば、便利だなと思うのですがどうして、実現できなかったのでしょうか?

ということで、新幹線の夜行列車が実現しなかった理由を解説していきます。

騒音問題がクリアできなかった

一番大きな問題は騒音問題がクリアできなかったことです。

新幹線の通過シーンを見た事がある人ならご存知だと思いますが、

新幹線の通過時は、かなりの騒音を発します。

特にトンネル付近では、駅で聞くよりも大きな音を出して走行しています。

住宅がないところばかりを走っているのであれば、問題はないのですが、

新幹線の線路の周りには住宅が密集しているエリアもあります。

そこに住んでいる人からすれば、昼間はなんとか我慢できても、寝ている時も我慢しろとなると、流石に反発も出ます。

実際にこれによる裁判まで行われました。

判決結果を簡単に説明すると、公共性が高いため騒音は仕方ないが被害は認めるので慰謝料は支払うようにというものでした。

もし、夜行新幹線を運転しようと思うと、更なる慰謝料を請求される可能性があります。

また、さらに裁判をされると、夜間の走行は公共性が低いと判決される場合もあり、そうなるとせっかく実現したのに、すぐに中止しなければいけない事態になります。

よって、夜行新幹線は実現できなかったと考えられます。

収益性もイマイチだった

コロナ以前のJR東海とJR西日本の売上を合計すると年間3兆円を超えていました。

それに対して夜行新幹線を運転して稼げる金額は、見立て通りだとしても年間180億円〜300億円ほどです。

夜間に運転するとなると、それだけ人件費もかかりますし、それに対応するための設備投資もかかります。

よって、夜間に運転しても、経費ばかりかかり、それほど稼げないと考えたのも実現しなかった理由の一つだと思います。

ただ、当初は国鉄時代だったので、少しでも稼ぎたいという思いはあったと思います。

なので、たとえ国鉄時代に実現していたとしても、JR発足後はすぐに廃止される運命だったのかと思います。

スピードアップで需要がなくなっていく未来がみえた

夜行列車に乗る1番の目的は、日中の移動には時間がかかりすぎるので、寝ている時間を利用して移動しようというものでした。

しかし、現在の新幹線はどんどん速度が上がってきており、わざわざ夜間に移動しなくてもよくなりました。

よって、もし今の時代に夜行新幹線があったとしても利用する人はほとんどいないと思います。

東京を夜の12時に出て、新大阪に夜中3時についても、何もすることないですからね。

それだったら、朝の6時に東京を出て、新大阪に9時到着か、前日のうちに新大阪に入り、ホテルで前泊すればいいと考える人がほとんだと思います。

在来線の夜行列車も、サンライズ出雲・瀬戸を除き全てが廃止された理由も、これにあると思います。

わざわざ、睡眠の質を犠牲にして、移動する時代は終わったということでしょう。

個人的には在来線の夜行列車は、移動というよりも旅をしている感じでいいと思うのですが、夜行新幹線はあっても乗らないだろうと思います。

実は夜行新幹線が運転される時もある

実は、夜行新幹線が運転されることもあります。

それが、世界的なイベントが開催されている時です。

最近では、東京オリンピックの開催時に東北新幹線で夜行新幹線が計画されていましたが、感染拡大防止のため中止となりました。

東海道新幹線では2002年のFIFAワールドカップの時に夜行新幹線が実現しました。

今後も、世界的なイベントが日本で行われる場合に限り、夜行新幹線が運転されるんじゃないかなと思います。

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