2019年1月17日、兵庫県を襲った阪神・淡路大震災から24年が経過しました。
平成最後の追悼という事でメディアでは、いつも以上に取り上げられていたような印象があります。
「絶対に風化させてはいけない」兵庫県で生まれ育った私としては、この言葉を何度も聞いてきました。
しかし、実際はというと、震災発生時に生まれていなかった世代も増え、忘れられようとしています。
そこで、今回は震災から24年目の今だからこそ出来る3つの事を考えてみました。
過去を伝える
震災から24年が経過した今、日本で暮らす3人に一人以上は、震災当時に生まれていなかった計算になります。
このまま、30年、40年が経つと、さらに少なくなり、震災当時の様子を語れる人は少なくなるでしょう。
そうして、いつの日か震災当時の事は、単なる記録となり誰からも目を向けられなくなります。
しかし、それでは震災を通して得たものは悲しみだけになってしまいます。
それを防ぐ方法として、『伝える』という手段があります。
震災を経験した人が多くの人に語り続けるのも一つですが、それにも限界があります。
だったら、せめても親が自分の子供に伝えるぐらいは出来ると思います。
毎年1月17日になると、「1995年1月17日に兵庫県で大きな地震があったんだよ」この一言だけでも十分です。
そこから、興味を持てば自分で調べるでしょうし、興味がなくても震災があった事実だけは知っていただけるはずです。
とにかく、「伝える」これが私たちに出来る第一歩だと思います。
今に備える
地震大国である日本は今後も巨大地震の発生が予想されています。
また、阪神・淡路大震災のように、ほぼ予想されていなかった地域でも震度7クラスの地震が多発しています。
このように、日本に住む以上は、地震に備えなければなりません。
正直、面倒だなと思っている人も多い事でしょう。
しかし、それでは震災時に生き抜く事は出来ません。
もしもの時は、国や地方自治体が助けてくれると思ったら大間違いです。
間違いなく、数週間は自分の力だけで生きていく必要が出てきます。
「防災袋を買う」たったこれだけでも構いません。
今、思いついたこの瞬間に行動しましょう。
未来へ進む
震災から24年が経過した現在、神戸の街はすっかり復興を遂げました。
神戸に行かれたことのある人はご存知かと思いますが、震災公園など故意に保存している場所以外では、全く傷跡がありません。
しかし、神戸の『人』はと言うと違います。
まだまだ、傷ついている人もいますし、悲しみを抱えている人もいます。
私の過去に出会ったAさんは、震災がきっかけで事業に失敗し、莫大な損害を出してしまいました。
ある程度は保険で返す事が出来たそうですが、それでも数千万の借金が残ってしまい、全額返済には震災から10年以上かかったそうです。
この当時の辛さは今でも痛いほど覚えているようです。
震災から数年間は保守的な考えになり、地道にいつ終わるか分からない借金を返し続けていました。
しかし、震災から5年後のある日、同じく震災で大きな借金を抱えた人に出会ったそうです。
その人は、家族も亡くしており、本当に悲痛ではあったものの、生かされた事に感謝をして事業を再開し、借金を全額返したそうです。
そこから、Aさんの考え方は変わり、保守的な考えを捨て、未来に生きようと新しい事業を開始しました。
このおかけで、Aさんは借金を返す事が出来ましたが、もしずっと保守的な考えであれば今も借金に悩まされていたと思います。
この事からも未来へ進む事は大切だと言う事が、お分りいただけると思います。
もちろん、悲しさは消えません。
しかし、それを少しでも軽減する為には未来に進むしかないのです。
辛い気持ちは十分に分かりますが、未来に進む事を忘れないでください。
以上、今は私たちに出来る3つの事でした。
地震大国で生まれたからには、地震と一生付き合っていく必要があります。
時には辛い時もありますが、その辛さも糧に出来るぐらい大きな人間になる事が求められるのではと考えました。